松は宇宙を語ることができる
- shibuya angelstone
- 3月11日
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更新日:3月26日

盆栽には松が使われることが多い。これは、松という木の本質的な可能性、ないし適応性と関係している。私は個人的には、もっと自然に育っていく方向性を好むので、盆栽は好きではないのだが、盆栽の中に流れる考え方は理解しているつもりである。それは、宇宙である。
一つの世界を表している。盆栽という、ひとつの限られた木の表現の枠の中で何を表したいかということであって、その時に松の木はそれに耐えうるだけの表現力を持っているのである。
その表現において絶対的な大きさは関係がない。高さが五十メートルであっても、百メートルであっても、それと、二十センチ、三十センチしかない木を比べてみて、どう思うかということなのである。
それは、どちらも同じなのである。握一点開無限という言葉があるように、時空を超えて表現しているものがあるということである。生命の表現の無限性というものがあって、サイズが小さければ小さいなりに、その大きさの中で、宇宙が表現できる。
著者:板野肯三
筑波大学名誉教授
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